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アシールド AS 1525

写真は時計修理師さん提供

ラドー・シンプロンにはA.Schild(アシールドと発音されることが多い)のAS1525というムーブメントが入っている。A.Schild(Schild SA)は、1896年アドルフ・シールドによって創設された時計ムーブメント製造専門の会社である。ちなみにシールド家は時計業界に深いつながりがある家系で、Urs Schild(たぶんアドルフの叔父)というひとはエテルナの創業者の一人だ。アドルフ自身も自社創業以前にエテルナに所属していた(当時はまだエテルナという名前ではなく、Dr.Girard&Schildという名前だった)ことがある。

 

1900年代初頭、時計業界は価格競争によってお互いの身を削り合っていた。その勝者不在の競争に終止符を打つべくエボーシュSAという組織をアシールド社はFHF、アドミシェル社とともに設立する。これは言ってみれば価格を下げないための共同体だった。ムーブメント製造の大手三社が結託したことで、目論見通り価格競争は終焉を迎える。

 

無事に価格競争を乗り切ったにみえた業界であるが、今度は世界的な不況と第二次世界大戦によって会社の存続そのものが危うくなってきた。価格を維持するための共同体だったエボーシュSAはすでにこのとき単なる共同体の枠を超え、銀行からの資金援助を得るためのバックアップ組織として機能していたが、さらなる大企業の加盟を必要としていた。

 

エテルナが登場する。エテルナは当時スイスにおける最大手の時計メーカーだった。そのエテルナでさえ不況と戦争によって会社の存続は極めて不透明なものになっていた。当時エテルナの社長だったTheodor SchildはエボーシュSA参画に新たな道を見出したが、エボーシュSAへの加盟条件はムーブメント製造専門会社でなければならない。エテルナはムーブメントだけでなく、腕時計完成品も作っていたためそのままでは加盟できなかったのである。そこでテオドア・シールドはエテルナのムーブメント製造部門を切り離して別会社にすることを決定する。それがETAの誕生である。1932年のことだった。

 

エボーシュSAへの加盟には遅くとも、時計業界の巨人エテルナから出発したETAの影響力は計り知れず、エボーシュSAは事実上ETAが支配する形になっていく。ここではETAの歴史には触れないが、その歴史もまた非常に興味深いものがある。

 

時は飛んで1970年代。オイルショックとそれにつづく経済不況、さらに海外メーカーの躍進(日本など)、そして決定的なセイコーのもたらしたクォーツショックによりスイスの時計業界はガタガタになってしまう。A.Schild社も例外ではない。そうした中で一番力のあったETAA.Schild社を含めエボーシュSAに加盟していた会社が統合されることになった。

 

かつてETAの前身であったエテルナから出発したA.Schild社は再び親元へと帰ったのである。多くのムーブメント製造会社を傘下に収めたETAはそれこそ星の数ほど種類のあったムーブメントの取捨選択をした。手巻きのスモールセコンドはプゾーの7001、クロノグラフはバルジューの7750、懐中時計用はユニタスの6495を残すといった具合にである。そして結果的にA.Schild社が開発したムーブメントはひとつも残らなかった。個人的にはA.Schildが開発したアラーム付きムーブメントは残して欲しかったと思う。

 

A.Schild社の歴史についてはまだまだ調べきれていないことのほうが多い。日本語のサイトにはそうした情報は非常にすくなく、今回はすべて海外サイトから得た情報をもとにしている。輸入書を紐解けばさらなる理解が進むのであろうが、なにしろ時計関連の洋書は非常に高価なためなかなか手が出せないでいる。

 

さて(ようやく)、機械についてであるが、こちらはシンプルなものである。ムーブメント検索サイトの定番であるRanfit Watchesによれば、

 AS 1525

 手巻き

 18000A/h5振動)

 パワーリザーブ 44時間

 とある。

 

特筆に値するようなものはなにもないが、薄く仕立てるドレスウォッチにはちょうどよいサイズだ。交換した風防がオリジナルよりもドームが高いものになってしまったのでレストア後の厚みは9.65mmだが、オリジナルは少なくとも1ミリは低いから薄型といっても差し支えないと思う。

 

ラドーによるムーブメントの仕上げはとくにされておらず、ただRADOの刻印が押されているだけだ。ペルラージュ仕上げなど特別な仕上げは一切されていないまさに庶民の時計である。これを修理した時計修理師曰く並品とのこと。

 

だから価値がないということではない。他人にとっては価値がなくとも、ぼくにとっては間接的にであるが形見であり思い出の品としての価値がある。こうして無事に再生できたのでこれからは日常の道具として使っていきたい。