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あの日あの時あの場所で

桜は咲いた瞬間に散り始める。だから一分咲き二分咲き三分咲き、四分咲き五分咲き六分咲き、七分咲き八分咲き九分咲きなどと咲き具合を数えているあたりが見頃なのであって満開となったとたんに広げたシートを畳み始めるのが正しい花見のあり方であろう。

 

写真は背景の建物があえて見えるように絞りを絞って撮影している。築五十年を数える昔ながらの団地とそこへたまたま同じ時代に住むことになった家族が同い年の子供を持つという共通事項によって出会い団地とほぼ同年齢を数える桜を見上げている。

 

この日は3月下旬で桜が六分咲きとまさに見頃を迎え、曇天の間隙を縫って陽光が指した瞬間を捉えた。第二の被写体である団地を背景にすることが決まっていることから光の方向を心配したが、南側にまわりつつある太陽がぎりぎり半逆光にとどめてくれて助かった。これは逆光にならなくてよかったと勘違いされるといけないから書いておくが、順光にならなくてよかったという意味である。

 

そう遠くない未来に取り壊されることが確実な団地は昭和の匂いをぷんぷんさせているまったく団地らしい団地である。こうした建物が将来作られることはほぼ永遠にないであろうから資料的観点からも価値があるし、想い出という観点でみれば格別に懐かしい写真になるはずだ。現に数日しか経っていない今日でさえすでに懐かしさは漂いはじめており、カラー写真なのにセピア色に脳内変換されてしまう。

 

今一歳の子どもたちは二十年後にこの写真をみてなにを想うか。子どもたちが大人になったとき、この写真の価値はさらに高まるだろう。ぼくが写真を撮る時はいつもそうしたタイムスパンを考えている。証明写真のごとく背景がボケボケでどこで撮ったのかわからないような写真をあまり好まないのもそうした背景があるからである。