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家庭の肖像

家族フォトの在り方についてずっと考えていた。

一般的に家族フォトと言えば公園のような開けた場所で撮影するのがほとんどであるし、私もそうしている。とくに都心の場合、緑がある場所自体が貴重なためどうしても大きな公園か河川敷のようなところに集中してしまう。

 

こうした公園フォトはメリットとデメリットが表裏一体であって、それはつまり緑が写真を引き立ててくれると同時に場所の不特定性を高めてしまうという問題を持っている。簡単にいえばどこで撮っても同じということだ。

 

背景がきれいにボケている中での笑顔の写真が欲しいというニーズに応えるにはそれでいいのだが、何百枚も撮った写真がみんなそんな風だったら見ていて飽きないだろうか。私なら飽きる。写真というのはフレームの中に収められた様々な構成要素が組み合わされるから面白いのだ。構図の中の物語を見ているひとが思い浮かべられるような写真は撮っていて楽しいし見ていても飽きない。

 

そこを突き詰めて自分なりに新しい家族フォトを提供できないかと考えた結果が、この「家庭の肖像」である。言うなれば自宅で撮るスタジオ写真だ。

 

家の中を写されるというのはとくに女性は抵抗を示すひとが多いだろう。しかしそこがボロかろうが、散らかっていようが自分の人生を成す大切な要素であることには変わりがない。いずれ引っ越せばかつての自宅の記憶は脳裏から薄れていく。或いは終の棲家にしても時間とともに同じ家でも家具や家電が変わればその見た目は変容していく。

 

そこに写真が一枚でもあれば、付随する思い出も合わせて蘇り、自分や家族の人生を振り返るきっかけとなる。

 

今はボロくて散らかっていて嫌かもしれないが、その写真は10年後、20年後には間違いなく価値あるものになるだろう。

 

ここまで読んでくれた人の中でそうかもしれないと同意してくれる人がいることを願う。でもそんな人でも実際にどんな写真ができるのか予想がつかないだろうから、サンプル写真を自撮りした。セルフタイマーを使っての撮影は普通に撮るより数倍難しい。一枚撮ってはチェックするというのも時間がかかるし、なにより表情がいい瞬間を狙えないのが一番辛い。でも代わりにシャッターを切る人がいたらそれは私の写真ではなくなるからそれはできない。とにかく思い通りにいかない子どもたちを相手になんとか撮れたのが、この写真だ。

 

我が家でももっとも古めかしいと思われる台所をあえて入れて撮影した。自分で言うのもなんだが、この写真は貴重な財産になったと思う。