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巡り合わせの不思議

この時計はぼくの妻が15年ほど前に購入したものである。そのころまだぼくらは出会っておらず、だからぼくの時計熱に妻が引きずられる以前に、自ら買い求めたアンティークウォッチなのだった。

 

ケースは14Kのホワイトゴールド製で、スイス製とあるから50〜60年代あたりの時計だと思われる。それ以上前だとハミルトンはまだアメリカで時計を製造していたからだ。

 

購入してから一度もオーバーホールをしたことがなく、ゼンマイの巻き上げも重たくなっており、なによりまともに時を刻まなくなってしまったからいよいよ修理にだすことになった。

 

修理先はいつもお世話になっているアンティークウォッチショップで、ぼく好みのセレクションと確かな腕前で信用している店だ。最近ぼくに時計を買う金がなくなって、妻が自分の時計をダシにしてぼくに時計屋さんに行く機会をくれたのである。ありがたや。

 

行けばいつも小1時間話し込んでしまうお店だが、今回は時計をみるなりご主人が

「あれ、この時計おれが売った時計じゃないかな?」と声を上げた。

 

いやいやそんなはずはないでしょう、この時計は妻がぼくと出会う前に買ったと言っていましたよと言うと、裏蓋を開けてみようということになった。果たしてそこには店主のサインが書かれていて、やっぱり自分がオーバーホールして売った時計だという確信に至った。

 

聞けば20年くらい前まではいろいろなショップに時計を売っていたのだという。

それが巡り巡って20年の時を経て再び売り主のもとへ修理に戻ってきたのだ。

なんという巡り合わせだろう。ぼくはその瞬間突如としてこの時計の価値が一段も二段も上がるのを感じた。もちろんその価値は市場価値ではない。ひとのつながりがこの時計を呼び、またこの時計によって店主とぼくの距離がまた少し近づいた。この小さな時計は絆を目に見えるカタチに変えたのだ。

 

アンティークウォッチの魅力というのは、時計としての魅力に加えてこうした物語の面白さがその魅力に華を添えるところにあると思う。決して高級時計ではないが、今こうして唯一無二の物語を手に入れたことで、まさに特別な時計になったのだ。