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山嶽巨人伝

 

「山嶽巨人伝」戸川幸夫 昭和34年(1959年)

 

 

 

前回Hunterというアフリカの狩猟家の本を読んだが、こんどは日本のマタギの本である。といってもあちらは実話だったが、こちらは小説である。エンタメ小説の範疇にはいるか。マタギは叉鬼とも書いて、鬼も恐れるほどの存在としての意味もあるのだという。現在の秋田県にあった阿仁村のマタギたちの話は非常に興味深い。時代は幕末から明治にかけての頃を描いている。アフリカのハンターがただレジャーのために動物を殺しまくったのとは違い、彼らは食料として必要な頭数だけを狩る。しかも火縄銃だから一発必勝でなければいけない。

 

 

 

マタギが普通の猟師と違うところは、山を神聖視しているところにある。だから山に入るときの作法が多い。ありとあらゆる条件を自らに課してあえて非常に厳しい立場に自分たちを置いて猟にでる。彼ら一番の大物といえば熊である。熊以外の動物を狩るときはほとんど苦労しない。しかし熊が相手になると命がけとなる。だから熊を倒したものは一躍村の英雄になる。

 

 

 

物語は腕利きのマタギ松五郎の息子が生まれたところから始まる。産直後に母親が死に、少し後手の気がある子、根子太は父松五郎の献身的な教育もあって村一番のマタギへと成長していく。幼い頃はいじめにあいながらも良き大人に恵まれて根子太は芯の太い男になるのだ。そしてついに熊を倒して根子太は村の尊敬を集めるまでになる。

 

 

 

自然とともに生きるマタギたちの描写は生き生きとして瑞々しくぼくの好奇心を満たしてくれた。非常に読み応えがある小説だった。と、ここまではいい。ここで一旦物語は終わるのであるが、その続編がいけない。まったくいけない。

 

 

 

根子太は広い世間を見ようと念心和尚と旅にでる。世の中は倒幕開国で目まぐるしく動いていた。続編である「風雲 山嶽巨人伝」のほとんどは歴史をただ述べているだけに終始する。やれ徳川がどうだ。薩摩がどうだ。長州がどうだ。西郷だ。勝だ。坂本だ。新選組だ。……。主人公である根子太はときどき合いの手を入れる程度に顔をだす程度だ。そこにはもう生き生きと野山を駆け巡った根子太の姿はない。たしかにスケールは大きくなったけれども、マタギ世界を描いていた一作目と比べると二作目に個性は感じられない。だから読むなら一作目だけにしておくのが正解だ。一作目は読む価値のある素晴らしい小説である。マタギは非常に特殊な職業であるが、日本人の狩猟感というのはマタギの精神性をすんなり受け入れるのではないかと思う。それだから、なおさらアフリカのハンターは到底理解し難い行為に映るのだ。