· 

オウンドメディア批評 第一回 ハリオ株式会社のYoutubeチャンネル

ハリオのガラス容器が好きである。
といってもうちにあるのは醤油差しひとつであるが、気に入ってずっと使っている。

十年以上は使っているはずだ。液垂れしない口というのが売りの商品だったが、長年の使用により液垂れするようになった。口の位置が低いため醤油を容器に目一杯入れることができないが、たくさん入るといつまでも風味の抜けた醤油を使うことになるからこれくらいでいいのだろう。なんだかんだと言っているがなによりも形がいい。日常で使うものが美しいのはいいことである。

 

 

技術的なことについて

 

 

ハリオのYoutubeチャンネルはどの動画も整頓されている。映像も抜けが良くガラス製品の美しさをよく表現していてとても好感が持てるものだ。登録者数は4万人を超えていてハリオブランドの人気の高さを物語っているように見える。

 

全体的に、動画は太陽の光が差し込む日曜日の午前中とでも言えるようなトーンで統一されている。自然光の多色感がガラスの透明感を引き立てている。ガラスは撮影しにくい素材である。反射するし向こうが透けるからだ。そのあたりも踏まえて「きちんと」撮影している。たぶん動画制作者は真面目なひとたちだろうなどと想像してみる。

 

ハリオの動画はどれをみても「きちんと」がキーワードのように顔を出す。セッティングもきちんと。動作もきちんと。カメラワークもきちんと。それらが合わさって結果として非常に端整な映像に仕上がっている。まるで定規で線を引いたように「きちんと」しているではないか。

 

そのきちんとさが清潔感を生んでいる。まるでガラスのように無味無臭の映像である。料理が乗った映像でさえ、そこにない感を漂わす。その透明感の演出が狙いなのかもしれないが、ぼくはそこに物足りなさを感じてしまう。

 

物足りなさを一言で言えば、身体性がないのである。これについては書き出すと長くなりすぎるので割愛するが、技術的な視点で言えばフリーハンドを許容することである。

 

非常にシンプルな動画から手間暇をかけて準備に時間をかけた映像まで幅広く扱っていて製品にかける思いを伝えようとする気持ち或いは心意気が伝わってくる。ところが制作に手間と時間をかけたからといってそれが視聴数に結びつかないのは世の常である。しかしそれはYoutubeという媒体の性質なのではなくて、Youtube以前からそうなのである。ただはっきりと測定することができなかっただけなのだ。

 

この、準備をたくさんしたのに(制作にお金がかかったのに)思ったほど見られないということがもし気になるのなら解決策は一つしかなくて、それはそういった動画制作をやめることである。そこのコストパフォーマンスは企業の内側の問題であって、視聴者には一切関係がないからである。

 

気にならないなら一向作り続けて構わない。会社が理解を示し、制作者たちが楽しんでいるのなら一体なにが問題になりえようか。

 

だけどもしぼくならすごく気になる。そこにかける費用がそのコンテンツにおいて本当にエッセンシャルなのかどうか十分に吟味するだろう。それがなければ成り立たないのか。ほかに方法がないのか。そして大抵の場合、方法は常にある。

 

 

コンテンツのことについて

 

ハリオの動画コンテンツは製品紹介とその使用方法がほぼ100%である。だからなのか、技術的なこだわりほど内容にこだわりは感じない。製品がある時点ですでに内容は決まってしまっているようなものだ。時系列にそってその使用方法を見せる。無駄を削ぎ落とした映像に徹しているのでわかりやすく、見やすい構成である。個別の製品に興味があるひとだけが見る動画と言える。

 

これが、登録者数4万人を超えていながら、各動画の視聴回数がその十分の一程度になる理由でもある。視聴者は自分が気になる商品の動画のみをみて、なるほどねと思いそれで終わる。商品紹介のPVとしては正しい姿だが、もしより多くのひとに広めたいと思うのなら内容を考えなくてはいけない。そしてそれは技術的なアプローチよりもずっと難しいものである。

 

コンテンツ力を高めるために欠かせないのが、身体性を考えることである。

身体性について書き出すと長くなりすぎるので割愛するが、コンテンツに関して言えば、要するにそこに人間味があるかどうかということである。これがなかなかに難題だ。

 

おそらく、現在の動画に出演しているひとはハリオの従業員ではないだろうか。そのため顔出しを極力控え、セリフもなく、手元の動作だけに集中している。いつ辞めるともしれない従業員を表立って使うのはリスクが高い、とは何度となく企業担当者から聞いてきた言葉である。それに、わたしやりますと手を挙げるひとがいないとも言う。

 

つまり、この制限を突破できるかどうかがひとつの指標になろう。どうするか。出演者を雇って出てもらうというのは直球である。それで収まれば話は早いが、予算的観点から考えて変化球も用意しておきたい。出演者は今まで通り従業員で対応するが、ナレーションにこだわるという方法もある。それは声の質だったり、言葉の中身だったりする。単なる商品紹介に終わらない内容を考えたい。それはまるでラジオのようにつづきを聞いてみたくなるような内容だ。

 

 

さいごに

 

ハリオのYoutubeチャンネルは、すでに美しい映像で多くの動画が作られており、一つの世界観がある。だが一方で物足りなさを感じてしまうのもまた率直な気持ちである。その物足りなさは伸びしろである。