たとえばルーク・スカイウォーカーの師匠はオビ=ワン・ケノービだとか、そういう
わかりやすい師弟関係にあったわけではない。
だけどぼくは写真家の高橋さんのことを心から尊敬していた。
ぼくは演出家で、高橋さんはカメラマンで、立場こそ違うけれどもぼくは
高橋さんのことを師匠だと勝手に思っていた。
高橋さんの切り取るアングルはいつも素晴らしく、そしてとても繊細だった。
それは高橋さん自身が投影されたもので、本人もとても繊細なひとだった。
高橋さんの撮る写真や映像はどこか儚さが漂い、それがそのまま美しさとなって
ぼくを魅了していた。
儚いだの繊細だの言っているが、決して暗いひとだったのではなかった。
いつも明るくて、なによりも仕事を心から楽しんでいるひとだったから、一緒に
仕事をするのがいつも楽しみだった。
高橋さんはカールツァイスのレンズを好んで使っていた。
みてみ、この色合いがいいべ。
こっちがキヤノンレンズ、で、こっちがツァイス。ね、いいっしょ。やっぱツァイスだね。
どこか東北の訛りを残しながらツァイスレンズの良さを語ってくれたことがあった。
べつにキヤノンレンズを批判しているのではない。動画も撮れるデジタル一眼レフと言えば、キヤノンのEOS 5Dしかなかった時代のことである。だから比較対象は必然的にキヤノンレンズになってしまっただけのことだ。
そんな違いを目の当たりにされて、しかも心の中で師匠と呼ぶひとがそういうのだから、
ぼくがツァイス党にならないわけがなかった。
ツァイス党になったといっても、実際に自分で所有するようになるまでにはそれから10年の歳月を待たなければならない。カールツァイスは確かに素晴らしい描写をするレンズだが、値段だって高価なものだからだ。そして本当のことを言えば、自分でツァイスのレンズを買うことになるなんてつい最近まで考えてもいなかった。
でも一度ひとりでやる、映像をやる、と決めたら、使うレンズはツァイスしか考えられなかった。一昔まえだったら、ツァイスを使うといえばマニュアルフォーカスレンズしかなかったが、今はBatisというオートフォーカスレンズシリーズがある。しかもソニーのEマウント専用に設計されているので、純正レンズと同等に扱うことができる。
年末には待望の40ミリが発売される。そしてこれがぼくが使う標準レンズになるだろう。
レンズの良さを語るのはとてもむずかしい作業の一つだと言わざるを得ない。
描写の良し悪しは結局好き好きだからで、わたしはキヤノンが好き、わたしはニコンが好きと言えばそれでおしまいだからである。MTF曲線だとか、解像力テストだとか、描写性能を数値化して比較するのが一般的だけど、だからと言って、数値的に劣るほうが必ずしも描写も劣るわけではない。
というのも、描写についてはどうしても主観が入らざるを得ない領域だからで、だからぼくはその手の比較は興味がない。そう書くと、カールツァイスのレンズが数値的に劣るように聞こえてしまったかもしれないが、もちろん実際はそんなことはない(はずである)。
だって、実際使ってみたらいいんだから、いいっしょ。
師匠だってきっとそういうに違いない。高橋さんがツァイスと言うときの顔は
子供のような笑顔になった。ほんとうにこのひとは写真が好きなんだろうな、と思った。
師匠と最後に仕事をしてからもうすぐ10年が経とうとしている。
当時の師匠の年齢にぼくがなり、カールツァイスのレンズを使って仕事を始めようとしている。
高橋さん、教えてくれたこと全部、ぼくが受け継ぎましたよ。