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アンティークウォッチのブツ撮り

ブツ撮りというのは家族フォトと対極にある撮影だ。なにからなにまで自分の思い通りに設定することができるうえ、時間的制約も比較にならないくらい緩い。広告の仕事をしていた頃、撮影の段取りではブツ撮りが一番最後なのは常識だった。ブツ撮りに時間がかかるから最後なのではなくて、つい時間をかけてしまうから最後なのである。

 

何しろ対象となるブツは文句ひとつ言うことなくただひたすらそこにある。これが人間のモデル撮影であればそうはいかない。優秀なモデルは不平を口にしないが、時間をかけすぎればどうしてもフレッシュさは失われていく。ブツは違う。ただなされるままにあるだけだ。

だからカメラマンも演出家も人物撮影が終わってさああとはブツ撮りだとなるとほっとするのである。いやほっとしないひともいるが、私はほっとしたものだ。

 

さて、時計が好きでいくつかアンティークウォッチを持っている。自分の好みを追求していったら所有する時計すべてがアンティークウォッチになってしまった。このアンティークウォッチを使ってブツ撮りをしようと思うのであるが、これがなかなかに難しいものである。というもの、まるでカタログにあるような新品の時計と同じように撮影してしまうとちっとも美しくならないからである。

 

その理由は簡単だ。それはキズである。新品の時計はキズひとつなく、滑らかでピカピカ輝いているからこそ美しい広告写真が成立するのである。だから新品と同様の手法をつかってアンティークウォッチを撮影すると本来ピカピカのツルツルであったところについた五十年六十年分のキズが浮き彫りになってしまい、妙に生々しく痛々しい写真になってしまうのだ。

 

したがって、アンティークウォッチにはアンティークウォッチに合う撮影方法を考えなくてはいけない。キズのないアンティークウォッチは存在しない。あればそれは偽物だ。そのキズをなるべく目立たせず、アラを魅力に転化させるにはどうしたらよいか。そのキーワードは、しっとりやわらかあったかくである。

 

この三つの言葉は結局のところひとつの表現を言い換えたものである。だから三つを体現しようとせずに三つが内包しているような表現を目指せばいい。余計わかりにくくしてしまったか。

 

とにかく、ケースについた無数のキズをなるべく目立たないようにすることだ。しかしその性で文字盤が暗くなったり変な影ができてはいけない。そこのバランスを上手にとるライティングテクニックが必要だ。ライティングは定常光でもストロボでもどちらでもいい。ちなみに上のロンジンはストロボを使っているが、これは大きな照明機材を置く場所がないからで、あれば定常光のほうが格段に撮影はしやすいだろう。

 

ちなみにこの時計は、1950年代のロンジンで、キャリバー12.68ZSという手巻きのムーブメントが入っている。直径は35ミリ。裏蓋は当時としては珍しいスクリューバックだ。針はドフィーヌ型で、長針も秒針もインデックスをなぞるがごとく長く、どちらも先曲げされている。特筆すべきは秒針の形状的美しさだ。さらに、アプライドのインデックスの形状や、それを囲む幾重ものラインなど細かい要素が集まって全体の美しさを醸成していて本当に美しい時計である。

 

時計の撮影は難しい。時計雑誌に載っているようなはっきりくっきり見えればいい(それはそれで技術がいることなんですが)写真を撮っても雑誌の仕事をしているわけではないのでつまらない。ついそうしたカタログ写真を撮っておしまいにしてしまいがちになるが、もう一歩踏み込んでその時計がもつ雰囲気を引き立てるところまで突き詰めたいものである。

 

今回のブツ撮りは、この美しい時計をより美しく撮影してやろうという試みだった。個人的には結構気にいった写真が撮れたと思うがいかがでしょうか……。