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苦情

先日母に遺影用の写真を撮って欲しいと頼まれたので撮ってきた。

写真をプリントして送ったのが月曜日、今届いたという電話があったのが水曜日。まさに受け取った直後に電話してきたようだった。

 

「なんでこんなババアに撮るんだよ!」

 

電話の第一声がこれである。こんな苦情聞いたことがないというくらいのすごい苦情だ。

ババアたって今年77になったババアである。一体全体なにを期待していたというのか。

そして写真の気に入らないところをひたすら挙げ連ねる。

曰く、首のシワがひどい。

曰く、顔が婆さんだ。

曰く、メガネをかけて撮ればよかった(なんで?目が大きく映るとでも思ったか?)

曰く、こんな婆さん見られない。

曰く、とても人には見せられない。

曰く、私はこんな顔ではない。

以下上記の繰り返し

 

まず、鏡で見る顔と写真で見る顔は違うと説明した。そして写真で見る顔は普段他人が見る顔であると言った。

とは言え、とにかくほとんど恨み節で、挙句の果てにはこんなことなら撮らなきゃよかったとまで言い出す始末。

 

なるほど、母親の脳裏にある自分の姿というのはおそらく20年前で止まっているのだろう。ビカビカに美化していたところに

現実を突きつけられたので面食らってひとのせいにしたのである。もっともこれが自分の息子だから直接苦情を言ってきたわけであるが、これが他人ならあの人は腕が悪いとひとに言いふらすのだ。

 

今回の苦情の一件は最初とても腹がたったが、落ち着いて考えてみれば顧客のニーズを汲み取れていないぼくに原因があったと言えるだろう。やりすぎなくらいの若返り術を施してよかったのである。現実の老齢した姿など本人は見たくないのである。他人が見れば、おばあさんおじいさんの写真はそのシワの彫りが深いほど魅力的に見えたりするが、金を払う本人はまるきり望んでいないのである。

 

今度から写真を撮るときははっきり聞こうと思う。今の自分が好きですか、それとも多少の若返りを望んでいますかって。

 

結局ぼくは首のシワを全部消して、顔のシワにボカシを入れて納品し直したのである。しかしそれはとてもいい写真とは言えるものではなく、やればやるほど葬儀屋さんがつくる合成写真に近づいていくのであった。死んだらオリジナルを飾ってやるもんね。

 

失敗からひとは学ぶのである。それも自分の失敗だから学ぶのである。大変勉強になりました。