· 

太古の記憶

公園に大きな赤松が何本も立っている。木がたくさんあっていいなあと思っていたらこんな看板が立っていた。

ここはもともと雑木林だったそうである。そこには小さい草から大きい木までまんべんなく生えていて、多種多様な

生き物が住処にしていた。フクロウもいたと書いてある。ところが公園にしてから小さな草木が消えていって、地面が

踏み固められていって、大きな木しか残らなくなってしまった……。

 

ぼくは大きな木がたくさん生えているから自然が豊かと思っていた。いい公園だと勘違いしていた。

なるほど本物の森へ行けば地面はふかふかで木々の植生も豊かである。ひとが多く出入りすれば地面は自然と

踏み硬められてしまう。豊かな自然と人間はいつも相反してしまう。

 

松ぼっくりは珍しくないが、開く前のが落ちていることも……、珍しくないか。

たまたま見つけた松ぼっくりは大きさがあったので目についた。拾ったときは完全に閉じていたが、

2日経って開き出した。乾燥が進むと開く方に収縮がおきて自然に開くようにできているのだろうか。

エネルギーゼロの自動装置。

 

開く前の松ぼっくりは魚の鱗のようにみえて、それも肺魚とかシーラカンスのような古代魚のような

大きく目立つ鱗に見えて、松も恐竜の時代からそれほど変わらずの姿で生きてきたのを想像させる。

 

松ぼっくりはガクなのか、花なのか。

それとも種を内包する果実なのか。

 

身近な存在でありながら知らないことが多い。松ぼっくりなんて当たり前すぎて敢えて知ろうともしなかった。

で、調べてみると球果とよぶ果実のようです。中に入っているのは種で松ぼっくりが木から離れる前に飛んでいく。

だから落ちた松ぼっくりは空っぽである。

 

開く前に落ちた松ぼっくりは間違って落ちてしまったもので、開いてくると種が中からでてくるのである。

花粉ではなかったか。息子に訂正しないといけない。

 

開く前の松ぼっくりは正面から見ると花のようである。花弁を幾層にも纏った薔薇のようである。

すっかり開いてしまう前のほうが美しいのは花も松ぼっくりも同じだった。